当社は、岐阜市の街づくりに
千年以上貢献し続けています。

 

創業は平安期以前、今も変わらず現在の場所で商売を営んでおります。

 

平安期

1053年 岐阜市の当家周辺を荘園名で「平田荘」と命名。
1064年 武家として初めての征夷大将軍となる、源(八幡太郎)義家が美濃征伐の際、当家との間にお子を授かる。その後、その子は当家の当主となった。

鎌倉時代

1185年~1333年 東山道沿いの為、全国三大都市の1つに数えられるほどの大都市として岐阜市が栄える。岐阜市が、過去から現在にいたる中で最も町が栄えていた時代。

室町時代(1336年~1573年)

応仁の乱(1466~1477) 戦国時代が始まる。
1478年

商人ながら名字帯刀を許され、「平田」の名字を預かる。

初代「平田 藤左衛門」が誕生した。(味噌・麹屋を営む)

1567年 織田信長が稲葉山城に入場し、井ノ口を岐阜と名づける。

安土桃山時代(1336年~1603年)

江戸時代(1336年~1603年)

1754年

幕府の命により薩摩藩が行った木曽三川の宝暦治水工事にも金銭面で支援

 

1832年 岐阜大仏完成
幕末

坂本龍馬が当家を訪れる

 

 

空前の大相撲ブームが起き、2度にわたり大相撲を近くの伊奈波神社で開催。当社は江戸時代からイベントを開催していた。

明治時代 (1868年~1912年)

1868年

当家近く岐阜町の入口にあたるところに川が流れており、住民の嘆願によりそこに私財を投げ打ち橋を設ける。地域の住民より「平田橋」と呼ばれる。

 

 

私財を投じ岐阜大仏の大修復を行う。

 

大正時代 (1912年~1926年)

昭和時代 (1926年~1989年)

1978年

「平田」と名字帯刀を許されてから500年を記念してヒラタ産業株式会社を創設

平成時代  (1989年~2019年) 

2005年

広告事業部 アド・フォンテを設立

2019年

現在

前へ

次へ